浜錦ものがたり 2

こんにちは!清水金魚のtomoです。
今日は先週の予告通り、浜錦ものがたりの第2弾をお送りいたします。

↓第1弾はこちらから↓


今回取り上げるのは、浜錦を作り出した渡辺茂夫さんのことと、
その作出についてお送りいたします!

浜錦ものがたり 2
昭和52年2月、日本観賞魚振興会理事会にて新品種承認を得る際に提出された写真です。



● 作出について

昭和35年頃から日本には多くの中国金魚が輸入されるようになりました。
当社会長(当時は社長)清水徹二は、日々そうした金魚をみながら
新しい品種の作出に関心を抱くようになります。

そんな中、昭和42年頃に日本の金魚市場に新しい品種を導入すべく香港から高頭パールを輸入し、
そのうちの12尾を愛知県蒲郡市で金魚の養殖業を営む渡辺茂夫さん(故人)に育成を依頼。
この高頭パールは品種としての固定度はあまり高くなく、
さまざまな表現を持った金魚が現れました。

しかし、選別と淘汰を繰返しながら根気よく繁殖を続けたところ、
昭和50年にそれまでの日本の金魚にはみられない
水泡状に発達する肉瘤を持つ個体7尾が得られたのです。
これが、現在のハマニシキのもととなった金魚です。

この新しい形質をもつ金魚同士での交配を翌年、翌々年と行っていった結果、
この水泡状に発達する肉瘤をもつ金魚は、どんどん得られる数が増えていったことから、
遺伝する形質であることがわかりました。このようにして待望の新品種、ハマニシキは誕生したのです。


浜錦ものがたり 2
渡辺さんが撮影した昭和52年当時のハマニシキ。
画像左側の3尾はモザイク透明鱗性で、うち一番上とその下の個体は非パール鱗。
その右側には出目性の個体の姿もみられます。



● 育成者、渡辺茂夫さんのこと

ハマニシキの育成者である渡辺茂夫さんは金魚養殖を生業とするプロの養魚家でした。
渡辺さんと当社との協力関係は長く、ハマニシキ誕生のきっかけとなった高頭パール以外にも、
さまざま品種の繁殖育成をお願いしました。
新品種としてハマニシキが発表されてからしばらくすると、
渡辺さん以外の養魚場でもハマニシキは生産されるようになっていきました。
しかし、渡辺さんの育成したハマニシキは、すべて当社を通じて販売・流通が行われました。


(協力・株式会社ピーシーズ)


次回金曜日の更新では、浜錦の元となった「高頭パール」と「浜錦」の違いについて迫ります。
お楽しみにニコニコ

清水金魚のツイッターです(・∀・人)
http://twitter.com/shimizukingyo


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